天神浜・猪苗代兼載の碑  坂 直孝(直尭)氏提供

兼載は猪苗代少輔盛実の子として享徳元年(1452)猪苗代湖畔小平潟に生まれました。兼載はわずか6歳で会津黒川(現会津若松市)の真言宗自在院の仏賢大和尚に引き取られ、剃髪(ていはつ)して法号を興俊と呼ぶ僧となりました。
やがて京都に出て39才の若さで連歌師として最高の北野連歌会所奉行・宗匠の職につきました。その後京都を離れ岩城大館を中心に会津・岩代・下野・上野にわたり活躍しました。永正6年(1509)に病気治療のため古河に行きましたが、翌永正7年(1510)に古河で没しました。 『さみだれに 松遠ざかる 州崎哉』 これは故郷の風景を詠んだ名句です。